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 ゴスペルって何だろう?

ec6509f7.jpg9/17 (Sun)

先週の日曜日と同じく、今週もニューヨークのロングアイランドという場所にあるニューヨーク日本語教会に行ってきました。先週は木戸ブライアン牧師先生が不在だっため、今回やっとお会いすることができました。
今回のアメリカ滞在において、木戸先生には渡米前より本当にお世話になり、心より感謝いたします。


『それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思うものはそれを失い、わたしのために自分の命を失うものは、それを見いだすであろう。』(聖書/マタイによる福音書16:24-25)

聖書の中で、このように記されている箇所があります。僕は、この「自分の十字架」という言葉の真意がこれまでよく分かりませんでした。いったいどういう意味なんだろうかと。
木戸先生はこの聖書箇所を通して、このようなメッセージを語ってくださいました。
それは、「今日この日を自分のために生きるのではなく、一日一日をキリストのために生きることができるように祈り求めていくこと。つまり、自分の欲望や自己中心的な思いを捨てること=自分の十字架を負うということだ」というものでした。しかしそれは言葉で言うほど簡単なものではなく、そこには本当の闘いがあります。なぜならば、自分を犠牲にしてまでも他者を愛することが求められるからです。
結論から言うと、これは僕たち人間の力では不可能なことです。ただ一つ、僕たちが出来ることは、僕たちの罪の代価として十字架にかかってくださったイエス・キリストという方を信じ、そのような生き方が出来るように祈り求めていくことではないかと思います。
僕の友達の多くは「ジーザス・フリーク」です。(活字で書くとちょっとヘンな感じですが、笑) つまり、ジーザス(イエス)というお方の生き方に惚れ、彼の愛の大きさに出会ってしまった人たちです。そして僕ももちろんジーザス・フリークです。彼の愛がなければ、僕は誰一人として愛することができないでしょう。キリストに従って生きていくとき、自分や他人を許せなかったり、受け入れられなかったりすることによる全ての束縛から解放され、本当の自由を得ることができるのです。これが本当のゴスペルのメッセージです。

今日のこの日を感謝して。
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